大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和54年(行ツ)56号 判決

上告人 ジヤガツト・ナラヤン・ジヤスワル ほか四名

被上告人 法務大臣 ほか一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人前田貢の上告理由第一点について

本件出入国管理令五二条所定の退去強制令書に基づく収容は、その性質、目的、態様のいずれの面においても刑事手続における逮捕勾留と類比すべき点がないから、所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。

同第二点について

原審の適法に確定した事実関係の下において、上告人ジヤガツト・ナラヤン・ジヤスワル、同ラダ・ラニ・ジヤスワルは本邦外へ退去後も訴訟代理人によつて訴訟を追行することは可能であり、また自ら出廷を要する場合にはその時点で所定の手続により改めて本邦に入ることを認められないわけではないから、右上告人両名が被上告人法務大臣の在留期間更新不許可処分によつて本邦外に退去したとしても、これによつてただちにわが国の裁判所において裁判を受ける権利を失うとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。右裁判を受ける権利が否定されることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。

同第三点(一)について

上告人プリティ・ジヤスワル、同プリムラタ・ジヤスワル、同プラティバ・ジヤスワルの本件訴を、行政事件訴訟法一四条一項、三項所定の出訴期間を経過したもので同条三項ただし書所定の正当な理由がないから不適法であるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第三点(二)について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 塚本重頼 栗本一夫 木下忠良 鹽野宜慶 宮崎梧一)

上告理由

第一点 原判決には、憲法三三条、同三一条の違背がある。

一 外国人に対しても憲法三三条・同三一条が適用されるべきことは両条が「何人も」と規定していることからも明らかである。

ところで上告人らに対する退去強制令書はいずれも行政官である主任審査官によつて発付されたものであるが、原審は出入国管理令(以下令と略する)による退去強制令書の発付並びにこれに基づく収容は、退去を強制するために暫時身柄を確保する手続であり、しかも処遇は令六一条の七により目的の範囲内で特段の配慮がなされており、退去強制という行政目的達成のための行政手続にすぎ、且つ実質上も刑事責任追及のための身柄確保に直接結びつく作用を一般的に有する手続とはいえないから憲法三三条の令状主義の枠外にあると判断し更に退去強制令書の発付が、入国警備官の違反調査、入国審査官の審査、特別審理官の口頭審理、法務大臣の異議申出に対する裁決という慎重な手続を経て初めてなされること、最終的には裁判所で発付処分を争えることから、不当な拘束を防止しようとする憲法三三条の目的は実質的に充たされているとしている。

しかし、右のような原審の判断は憲法三三条・同三一条の解釈適用を誤つたものというべきである。

二 すなわち、まず憲法三三条は刑事手続ないしは刑事責任追及に直接結びつく作用を有する手続でない限り適用ないし類推適用されないとする点であるが、そもそも憲法三一条は英米法のデユープロセス条項に由来し、広くすべての自由権の手続的保障に関する一般的規定であり、憲法三三条は人身の自由に関し、憲法三一条の各則的規定であつて、「自由の歴史は主として手続的保障の遵守の歴史であつた。」という言葉にあるように手続的保障の重要性が特に刑事手続において重要され発達したのは歴史の偶然にすぎないのである。

今日のように国家権力の活動領域が増大して、公権力の行使によつて人権が侵害されるおそれが多いという現実をみれば手続の性質の異質性よりも、被害の同質性に主眼点がおかれるべきであつて、行政手続と刑事手続の異質性を重視する原審の判断は狭きに失し、憲法三三条は行政手続にも可能な限り及ぶと解するのが、個人の尊重を旨とする憲法の精神に合致し、基本的人権の保障をまつとうすることになるというべきである。

もとより行政手続は多種多様であるから一律に憲法三一条以下の各条項が適用されると解するのは妥当を欠くであろうが、しかし、身体の拘束は重大な人権問題であるから、例えば伝染病の予防といつた国民生活の維持と公共の福祉のため緊急を要する場合以外は、その侵害の重大性からして身体の拘束が行政目的達成のためであつても憲法三三条の保障は及ぶものと解すべきである。

退去強制令書による収容は、刑事手続における逮捕勾留に比べ単にその目的を異にするだけであつて、人の身体を拘束し自由を抑圧するという実質には何らの差異もなく、その意味では刑事手続に準ずるものであるから、憲法に規定する要件を備えていなければならない。

ところで憲法三三条の令状主義は、第三者機関たる裁判所の司法的抑制により人身の自由が濫りに侵害されないように防止しようとするものであるが、退去強制令書による収容は、たとえ令書を執行する入国警備官と別個の職務権限を有する独任制官庁である主任審査官により発付されるものであるとしても、主任審査官は法務大臣指揮下の行政官であり、いわば発付処分を受ける者にとつては相手方の立場にあるというべきで、裁判所という中立的な第三者機関による司法的抑制を期待した憲法三三条の趣旨に適合するものとはいえない。

このことは、令六一条の七によつて、収容処遇が目的の範囲内で特別の考慮がはらわれているとしても、それによつて正当化されるものではない。

三 次に、原審は、憲法三三条の目的は実質的に充たされているとし、その根拠として、退去強制令書の発付が慎重な手続によつてなされることをあげている。

およそ人間にとつて根源的な自由である身体の自由を拘束するについて、慎重な手続を要することは当然のことであるが、たとえ慎重な手続を経たとしても、司法的抑制の濾過紙を通らない、行政庁の判断のみによる身体、自由の拘束は憲法の容認しないところである。

従つて、令が慎重な手続を設けているとしてもそのことによつて憲法三三条の目的が充たされているとはいえないのである。

更に、原審は最終的に裁判所に教済を求め得ることをも根拠としている。

しかし、それは事後的な教済にすぎない。そもそも、公権力による不当な人権侵害を防止するためには、公権力の行使に対する事前抑制が重要とされるのであつて、自由の歴史は主として手続的保障の遵守の歴史であつたとされるように、憲法三一条の手続的保障は人権侵害に対する事前の防止を主眼とするものであつて、人身の自由についてはいかに事後に救済手段があるとしても、過去になされた身体の拘束により受けた自由の侵害という不利益は回復されるものではない。

すなわち、裁判所による事後救済が制度的に可能であるとしても、それによつて事前抑制という憲法三三条の趣旨が達せられているということはできない。

四 以上のように、退去強制令書による収容の権限を主任審査官に付与した令四九条五項、五一条は憲法三三条・同三一条に違反するもので、原審はこれら憲法の解釈適用を誤つたものというべきである。

第二点 原判決には憲法三二条の解釈を誤つた違法がある。

一 憲法三二条は裁判を受ける権利を保障しているが、この保障は「何人も」と規定していることからして、外国人にも与えられることは明らかである。

ところで、上告人ジヤガツト・ナラヤン及びラダ・ラニは本件退去強制令書が発付された当時、同人らが日本国内に有する財産について当事者として民事裁判を追行中であり、ジヤガツト・ナラヤンについては現在も継続中であることは原審も認めるところであるが、本件退去強制は、同人の裁判追行を困難にし、裁判を受ける権利を侵害するものである。

二 原審は、退去により訴訟追行に事実上何らかの不便が生ずることは認めながらも、憲法三二条は裁判所が裁判を拒絶できないことを定めたにすぎないと解し、ジヤガツト・ナラヤンは訴訟代理人によつて訴訟を追行することが可能であり、又同人自身が出廷を要する場合には、令所定の手続により改めて入国が可能であるから、本件退去強制により直ちに裁判を受ける権利を失うものではないと結論している。

しかし、そもそも、自力救済を原則として禁止している現行法制下において、個人は裁判所の手続を通じてのみ自己の権利、利益を守らざるを得ないのであり、ここに憲法三二条の存在意義がある。

しかも、現行民事訴訟制度は、本人訴訟を建前とし、特にジヤガツト・ナラヤンを当事者とする訴訟は当事者がすべて外国人で、かつ、古い事実に関する争いであるから、仮りに訴訟代理人がいたとしても当事者は裁判の進行状況を速かに知り、訴訟代理人と十分な打ち合せをしていかなければ、とうてい自己の権利を守ることはできないのである。従つてジヤガツト・ナラヤンが退去を強制されることは、同人が訴訟状態を速やかに知り適切な攻撃、防禦手段を講ずることを困難にするとともに、訴訟代理人との打合せについても時間的、場所的あるいは財政的にその機会を困難にし、裁判の変化に伴う適切な訴訟追行の機会を失い、究極においては敗訴のおそれなしとしないのである。又、今所定の手続により改めて入国が可能であるといつても、必ず入国が許されるかどうかは不明であり、且つ財政的にも余分の出費を余儀なくされることになる。

このように、憲法三二条を単に「裁判所が裁判を拒絶することができない旨を規定した」に過ぎないと解することは、上告人から実質的に裁判を受ける権利を奪うことになるのであつて、憲法三二条は、裁判所において自己の権利を守るために訴訟追行を十分になしうることをも保障していると解しなければならない。

三 もつとも、原審は、上告人らは「裁判所出頭のため」という一時的な在留資格により入国したのであるから在留更新を拒否され退去を強制されることは十分予測しえたものであり、又、長期の在留資格がないのに日本国内に財産を有したことから当然生じたもので甘受すべきものとしている。

しかし、上告人らが、裁判所出頭のため入国を許可されたのであるから、裁判終了まで在留が許されるものと考えるのは無理からぬことで、しかもジヤガツト・ナラヤンは、期間更新が可能である旨の教示を得て入国したのであるから、「裁判所出頭のため」という目的であるから一時的在留しか認められずまた裁判を受ける権利が侵害されても止むを得ないという原審の判断を納得することはできないのである。

又、長期の在留資格がないのに日本国内に財産を有したのであるからその保護に欠ける結果となつてもやむをえないというが、何人といえども法律により禁止されていない限り日本国内において財産を有することは当然許されたところであり、従つて、又、その財産を守る権利も当然保障されなければならない。

原審の判断は、長期在留資格のない外国人は日本国内において財産を取得しても裁判所はそれを保護しないというに等しく、著しく妥当を欠く判断といわざるを得ない。

このように原審は、日本国内における外国人、特にジヤガツト・ナラヤンの立場を理解せず、憲法三二条を形式的に解するだけで、個人の権利保護のための憲法三二条の意義について解釈適用を誤つたものというべきである。

第三点 原判決には判決に影響をおよぼすこと明らかな法令の違背がある。

(一) 原判決は、上告人プリティ、同プリムラタ、同プラティバの訴提起は、処分または裁決の日から一年を経た後になされたものであり、その提起について正当な理由があるとはいえないと述べる。

しかし、プリティら三名が退去強制令書発付処分を受けたのは昭和四六年五月八日であるが、当時、若干日本語を理解しまた出入国手続の事情も承知していたジヤガツト・ナラヤンはホンコンへ出国して、本邦に在留していなかつた。

子供たちに対する収容の通知を受けたラダ・ラニは、即日仮放免を得て帰宅できたことですべてが解決したと誤解し、これらの処分に対して訴を提起して争わなければならないということは全く知らなかつた。

特にラダ・ラニは日本語を理解することができず、外国人の在留事務について絶大な権限をもつ入管、または、法務大臣を相手に争うことの必要性を理解できなかつたのは無理からぬことであつて、当時ホンコンにいたジヤガツト・ナラヤンについても、子供たちはいずれも未成年者であり、かつ即日放免された右の経過をみてすべて許されたと考えたことはもつともなことというべきである。

これらの事情を看過し、出訴期間経過について正当な理由がないとした原判決は、行政事件訴訟法一四条三項の解釈を誤つたというべきである。

(二) 原判決は、上告人らに対する法務大臣の裁決は、いずれもその裁量権の範囲内であり濫用はないという。

上告人らに対して在留期間の更新を認めるか否か、或は特別在留を許可するか否かは法務大臣の裁量であるが、この権限が何らの制限のない全く自由に行使し得る権限でないことは明らかである(行政事件訴訟法三〇条)。

右の裁量権の逸脱濫用とは、人道に反し社会通念上著しく妥当を欠く場合とか、正義の観念にもとるような場合も含まれるのであるが、本件についてみると、ジヤガツト・ナラヤンの日本にある財産をめぐつて同人を当事者とする訴訟事件が四件あり(大阪地方裁判所昭和四二年(ワ)第五一九四号事件、神戸地方裁判所昭和四四年(ワ)第四七四号事件、大阪高等裁判所昭和五一年(ネ)第一〇一二号事件、なお、大阪地方裁判所昭和四四年(ワ)第一一四六号事件については昭和五四年二月二六日ジヤガツト・ナラヤン勝訴の判決があつたが、相手方が控訴手続中である)、上告人ジヤガツト・ナラヤンらが右の訴訟追行のために来日したことはすでに述べたところであるが、上告人らはいずれも数次に亘つて在留期間の更新を受け、納税その他について善良な市民としての義務を果たし、平和に生活を続けて来たのであつて、今改めて期間更新を拒絶しあえて強制退去を求めなければならない理由は全くない。

ジヤガツト・ナラヤンは大阪市、神戸市等に不動産を所有し、上告人らは将来とも平穏な生活が保障されているが、日本国外には財産がなく、本邦から退去しても生活に困窮することがないとはいえない。

むしろ上告人らは、その生活の本拠が神戸市にあつて、それ以外のところにはなく、このような上告人らに対して退去を求めるためにはそのための正当な理由を要するというべきであるが、そのような理由は存在しない。

原判決が、これらの事実をもつてもなお法務大臣に裁量権の逸脱、濫用がないとしたのは、行政事件訴訟法三〇条ならびに令五〇条の解釈適用を誤つた違法があるというべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例